Vol.06 五十嵐圭

このゲストルームでは佐古賢一を取り巻く重要人物に登場してもらいます。その方から見た、その方とあったさまざまなエピソードを語ってもらい、佐古賢一の人物像に迫ってみようというものです。

第6回目のゲストは北陸高校・中央大学の後輩であり、同じポイントガードで全日本でも将来を期待されている、日立サンロッカーズの五十嵐圭さんです。

小学6年生で初めて賢一さんを知った。『これが、佐古賢一かぁ……』って

  僕が一番最初に賢一さんを見たのは小学校6年生の頃だと思います。月刊バスケットボールとかに掲載された賢一さんを見たのが初めてだと思いますが……、あまりよく覚えていません。僕と賢一さんはちょうど10歳の年差があるので賢一さんは大学4年生の頃のことだと思います。僕といえばちょうどミニバスケットボールをやり始めていた頃ですね。
 僕が小学校6年生の時は陸上部に入っていました。バスケットボールは体育の授業でやったくらいしかなくて、冬場にバスケットボール部の選手の人数が少ないということでかり出されたことがきっかけでバスケットボールをやり始めました。それで、バスケットボールにはまっていったんですよ。その頃のちょうどNBAブームで、雑誌を読み出したりしました。日本でNBAの公式戦が初めて行なわれていたと思います。まあ、僕はバスケットボールに興味を持ち始めていたわけですから、その手の雑誌を読んでいた時に掲載されていた賢一さんを初めて見たんだと思います。『これが、佐古賢一かぁ……』って感じですよ。中学校に入ってから、オールジャパンの試合をテレビで放送されていたのを見たのですが、その試合の賢一さんの印象が強いです。だから、賢一さんがいすゞ自動車に入社してからの方がずっと強烈に覚えていますね。

賢一さんの母校・北陸高校に進学。新入生の4月、生の賢一さんにただただ緊張

 僕の中学の3つ上の先輩が北陸高校に行っていた関係で、『北陸高校出身の──』という言葉がよく賢一さんのことを語られる時に聞きていました。だから、賢一さんに注目していた要因の一つだと思いますね。僕自身、北陸高校へは志願したんです。なぜかというと、中学2年生、3年生くらいから自分も北陸高校に行くんだという思いがありました。確かに3つ上の先輩が行っていたということもありましたが、僕の1つ上の先輩も北陸高校に行ったんですよ。それも影響しました。それに中学時代は全く弱くて、県大会で1回戦負けのチームでしたから(苦笑)、北陸高校から声はかかりませんでした。なので、自分から志願して北陸高校に行ったんですよ。僕の出身は新潟県なのですが、北信越でバスケットボールが強いと言えば福井の北陸高校の名前が通っていました。全国レベルでやることを考えると新潟県であれば新潟工業とか新潟商業になるのですが、当時は確実にインターハイに行ける保証がなかったんですよ。インターハイ出場を考えた時に北陸高校は連続出場していたし、そこに行ってレベルの高いバスケットボールをしたいということで、僕の中では迷うことなく“北陸”に決めてました! 初めて生の賢一さんと会ったのは、高校1年生の4月です。今年は僕も賢一さんと一緒に母校の北陸高校に行ったのですが、毎年4月には賢一さんを初めとするOBの方々が遊びに来てくれるんです。その時に対面しました。凄いなって感じましたね。その時、賢一さんは1年生全員と写真を撮ってくれました。それに津田監督は賢一さんが来ると、いつもと違ってすごい優しい顔になるんです(笑)。僕が高校生になった頃、日本のバスケットボールと言えば“佐古賢一”が代名詞になっていましたから。
 津田監督は普段そんなに賢一さんの名前を口にしたりはしないのですが、遠征用のバスの後ろに『目指せJBL』のフレーズが入っていて、賢一さんたちが全国優勝を遂げた時の記念集合写真が貼ってあるんですよ。そういうのも見てたから、はじめて実物の賢一さんを見た時は……もう圧倒されました。とにかく緊張して僕はほとんど賢一さんとは喋っていないですね。すごい緊張した顔で賢一さんと一緒に撮った写真が家にありますよ。僕は緊張のあまり顔が引きつっちゃって(笑)。
 その時、僕は賢一さんと一緒にコートに立ったのですが、すごい威圧感が賢一さんからは発せられていたように記憶しています。オーラが出ていました。なんか人と違うオーラが。普通にプレーはしましたけど、賢一さんと肌を合わせてみてどうだったとかを感じる余裕は全くありませんでした。ただただ、『佐古だよぉ〜』という感嘆の言葉しかなかったです(笑)。

賢一さんと同じ道、北陸高から中央大と歩んだポイントガードとして

 大学でバスケットボールをすることは、高校生の頃にもう決めていました。大学はバスケットボールで行こうと意識はしていましたから。中央大に行こうと思ったのは、賢一さんの存在が大きかったですね。だけど、中央大から声がかからなかったんですよ。3年生になって監督から『どこの大学に行きたいんだ』と聞かれた時に、『中央大に行きたいんですけど……』と言いました。僕もちょうどポイントガードを本格的にやり始めていた頃で面白くなっていた時期だったから、賢一さんの母校の中央大というのは意識していましたね。
 僕の大学4年間で賢一さんとの接点は1度くらいしかなかったと記憶しています。あれは、僕が大学1年生の時でベンチにも入っていなかったんですが、青山記念館の方に1度だけ家族を連れて試合を見に来てくれていました。その時に賢一さんと会話したことを覚えています。賢一さんが『お前、試合に出ないの?出た方がイイよ』とおっしゃったので、僕は『ベンチにも入っていないで……』と返答しました。すると、『今度、中大にも顔を出しに行きたいんだけどなあ──』というような会話でした。僕が久しぶりに北陸高から中央大に入ったので気にかけてくれたんですね。賢一さんとは大学時代、この青学で会った1度だけでした。JBLの試合は結構に行ったりはしていたのですが、当時僕の方から『賢一さん、遊びに連れて行って下さ〜い』なんて言えなかったですからね。そういう誘いはやっと去年くらい言えるようになりましたけど(笑)。
 ポイントガードとして僕が実際の賢一さんを見ていて『すごいなあ』と思うのは気持ちの強さ、困った時には俺に任せろ!!というオーラが賢一さんから出ているし、こういう時にこう時間を使って、周りをこう動かして活かすかのゲームコントロール。自分で攻める気になれば得点を取れる得点能力……など、いっぱいあります。賢一さんから直接言われていませんが、賢一さんのお父さんから高校2年生くらいの時に『賢一の頭の中には時間が刻まれているんだ。自分で残り何分あって、攻めるのに何秒残っているのかも分かって考えながらプレーをしているんだ』と言われました。僕も時間のことを意識しようとはしているのですが、これは、かなり難しいんですよ。それをできる賢一さんを見倣っているんですけど、ね。

賢一さんの底力

  大学の時の僕は高校の時に見ていた頃より、違うイメージで賢一さんを見ることができました。自分もポイントガードとしてのプレーの年数を重ねていましたから、こういう時にこう時間を使って、周りをどう動かスプレーをするというイメージがすごくあります。この賢一さんのコントロールするバスケットボールを盗もうという観点から賢一さんを見ていました。そんな中、僕は賢一さんが本気で攻めている試合は1度くらいしかなかったんじゃないかと思います。それは賢一さんが35得点をあげた愛知機械との試合だったと思います。賢一さんは攻めたら攻めれるのに……と思ったわけなのですが、僕がなぜそう思ったのかと言うと昨年のリーグ戦で対戦して、それを実感させられたからです。
 今でもよく覚えているんですけど、リーグ後半戦の開幕の試合。代々木第2体育館でやったアイシン戦でした。前半、僕ら日立が10点くらいリードしていて、3クォーター終了時点でもまだ7〜8点リードしていて周囲も僕らも勝ちゲームでしょうという展開の試合でした。ところが、残り5分を切ったあたりからマッチアップしていた賢一さんに10点くらい僕、取られているんですよね(苦笑)。アイシンは外国人選手がファウルトラブルに陥っていて、コートに出たり入ったりを繰り返していました。日立の外国人選手は我慢してファウルもせずに無難にプレーをこなしていたのですが、4クォーターに入って僕は賢一さんにかなりやられた印象が強いんですね。だから、賢一さんは点数を取る気になったら、いくらでも取れるんだろうなと思ったのはその時です。前半はディフェンスしながら『賢一さんは本気を出しているいるのかな??』と思っていたら、試合時間残りたった5分で感じがガラと変わったんですからねえ〜!!

賢一さんは僕の目標であり、ライバルでもあり

 僕のJBLのデビュー戦は駒沢体育館でやったアイシンとのオープニングゲームでした。賢一さんからは『おぉ〜!頑張っているな』と声をかけられました。僕は昨年ユニバーシアード代表に選ばれていて、そこからチームに帰ってきた時に、代表チームからセツ(東芝/節政貴弘)さんが怪我で離脱することになったので、急きょ僕が呼ばれたんですよ。その経緯があったから、賢一さんは『代表はどうだった?』と聞かれました。僕は『はい、面白いです』と答えると、賢一さんは『じゃあ、頑張れよ』というような会話をしました。それも試合中に(笑)。
 実際、同じJBLの選手として僕は昨年、賢一さんと同じコートに立てたわけですから、『賢一さんとやっと同じステージに立てて試合ができるところまで来た』!と思いました。そうなったら1年目の選手だろうが、10年目の選手だろうが一旦コートに入れば関係なくなってしまいますからね。賢一さんとマッチアップすることを楽しみにもしていましたし、実際に楽しかったです。試合中は必死で無我夢中でやっていましたから、賢一さんのゲームメークを観察する余裕はありませんでしたね。でも、試合には勝ったので嬉しかったです。その後は、トヨタと対戦して棟方(公寿)さんとマッチアップ、次が東芝でセツさんとマッチアップしたんです。リーグの中でベテランと言われるトップのポイントガードの選手と対戦できたことは、すごく勉強になりましたね。それぞれ違うタイプにポイントガードなのですが、3人ともゲームをコントロールするポイントガードです。このゲームをコントロールことが今僕の中でも課題なんで、どう対処すればいいかみたいなことを肌で感じることができたわけなんですね。
 賢一さんは今でも目標とする選手であることには変わりありません。その賢一さんとこれから対峙していくわけですからね……僕の武器ですか? 周囲からはスピードについて言われますけど、それは自分で意識してやっていますし、自分も自信を持っている部分です。このスピードにプラスしてゲームコントロールを身につけて行きたいと思っています。ポイントガードとしてチームをまとめるということになると、まだまだ負けているし、賢一さんの方が上ですよね。チームをまとめるという意味では、周囲の選手とコミュニケーションをとることと、自分が強気でいられることが大切だと思っています。ポイントガードはどの選手よりもボールを持っている時間が長いじゃないですか。そして周りを使うわけですから、『俺に合わせろ!』くらいの強い気持ちを持たないといけないかなと。それに僕は基本的にしゃべらない方なので(苦笑)、今シーズンはそこら辺を意識したいですね。賢一さんは人間的にも惹き付ける力がありますし、言うこと言うことに力がある。だからかな、僕は賢一さんの話をもっと聞いてみたいと思うんですよ。
 北陸高→中央大の後輩ポイントガードとして、まずは賢一さんに近付くこと。そして、賢一さんが引退した後のポイントガードは五十嵐圭だと言われるぐらいになれるように頑張るだけです。それは一番やっぱりポイントガードについて考えると、賢一さんの存在がドンとあるんでね。賢一さんがいなくなった後は、五十嵐圭が賢一さんのような存在になっていくのではないかと、そう思われたいですよね。
 その前に、コートに立ったら今はもう賢一さんと同じ立場まできました。コートに入ったら……賢一さんとはいえ、“ライバル”です(笑)。

Texted by Minami Mayama